物つくりを仕事にしていると、技術的な問題、経済的な問題、そして多くの人と接します。
そんな中で、特に感じていることを述べたいと思います。
正しい判断とは?
仕事をしていると、どの方法がより良い結果をもたらすか判断をしなければならない場面が数多くあります。
科学の世界では実験により証明できますが、経済や政治など社会現象は2つの事を同時に試す事は出来ません。
自分の人生であれば岐路に立った時、二通りの道を進むことはできないので自分の生き方と損得、周囲の人の事も考えて一つの道を選び、結果を甘んじて受けることになります。
商品開発ではA案とB案のどちらを採用するかといった時、意見が割れることがあります。
どちらを採用するかは結果を左右する重要な選択となる場合があります。
議論を重ねた結果、最終的には責任ある立場の者が決定します。
権限と責任のバランス上当然の手続きですが、商品の売れ行きなどの社会現象は他方を選択した場合と結果を比較検証できないため判断が正しかったかどうかを知ることが出来ません。
つまり、反対意見の者から見れば間違った判断であっても、責任を問われることもなく、感じることもないのです。
私のような理系の人間は物理現象を実験により考えが正しかったかどうかが試されるので理論を(計算式が合っているか、見落としがないか)見直す習慣があります。
一方、文系の人は一般に見直す習慣をあまり持っていないようです。つまり人それぞれの説として扱うだけで、正しいかどうかを検証するものではないと思われているようです。
文学や哲学の人間の生き方や心を扱う学問は結論を導き出す理論ではありません。