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2018年02月09日

科学と経済

物つくりを仕事にしていると、技術的な問題、経済的な問題、そして多くの人と接します。
そんな中で、特に感じていることを述べたいと思います。

正しい判断とは?
仕事をしていると、どの方法がより良い結果をもたらすか判断をしなければならない場面が数多くあります。
科学の世界では実験により証明できますが、経済や政治など社会現象は2つの事を同時に試す事は出来ません。
自分の人生であれば岐路に立った時、二通りの道を進むことはできないので自分の生き方と損得、周囲の人の事も考えて一つの道を選び、結果を甘んじて受けることになります。

商品開発ではA案とB案のどちらを採用するかといった時、意見が割れることがあります。
どちらを採用するかは結果を左右する重要な選択となる場合があります。
議論を重ねた結果、最終的には責任ある立場の者が決定します。
権限と責任のバランス上当然の手続きですが、商品の売れ行きなどの社会現象は他方を選択した場合と結果を比較検証できないため判断が正しかったかどうかを知ることが出来ません。
つまり、反対意見の者から見れば間違った判断であっても、責任を問われることもなく、感じることもないのです。

私のような理系の人間は物理現象を実験により考えが正しかったかどうかが試されるので理論を(計算式が合っているか、見落としがないか)見直す習慣があります。
一方、文系の人は一般に見直す習慣をあまり持っていないようです。つまり人それぞれの説として扱うだけで、正しいかどうかを検証するものではないと思われているようです。
文学や哲学の人間の生き方や心を扱う学問は結論を導き出す理論ではありません。



文学的な科学
今までに仕事上で人と話をしているとき、驚くべき表現を聞くことがあります。
正しい方法論でないばかりでなく、違和感を感じる理論なのですが、それを私が「文学的な科学」と名付け意識するようになってから、
より多くの場面で気付くようになりました。ひとつ一般例を引用します。

はるかに足の速い人でも私に追いつくことはできない
(子供のころ聞いた話なので)誰かはは覚えていませんが、古代の哲学者が友人に議論を投げかけました。
「あなたは私より2倍速く走れるとします。
そして、私は幾分前からスタートさせてもらいます。
同時に走り出したとして、あなたがわたしのスタート点にきたときにはわたしはあなたが来た距離の半分先に進んで進んでいます。
次にあなたが私のいるところまで来る間に私はまた先に進んでいます。
さらに私の進んだところに来るまでに、わたしはまた先に進んでいるので、いつまでもあなたは私に追いつくことが出来ない。」
こんな話でした。

このコラムを書きながら調べたら「アキレスと亀」という議論でした。

これにあなたは反論できますか?

これはパラドックスとか詭弁といわれていますが、このような話も含め私の経験したおかしな議論をわたしは「(とっても)文学的な科学」と言っています。
何がおかしいか、間違っているのか?
文学などの人の生き様や心の表現など結果を求めるものでない言葉で結論を出しているのです。
具体的には、関わりのある重要なファクターが欠落している。自分を利する結論に合ったファクターだけを抜き出して議論する。
正しいかどうかは初めから気にしていない。感情が支配している。、、などです。

先の「アキレスと亀」の話では実は時間のファクターにトリックがあります。
友人が哲学者を追いかけ近づけば近づくほど時間の進み方が遅くなり、止まるほどに際限なく遅くして、追いつく瞬間まで時間を進めていないのです。
つまり追いつく時より以前の時間の中でしか議論していないのです。ですから追いつく場面はなくて当然です。
現実の世界では違います。
私たちの仕事の考えがこのようなパラドックスに陥ってしまっては大変です。

自分はきちんと理論立てて行ったのに結果は出せなかった。
そのような時は重要なファクターをいくつか見落としている場合がほとんどだと思います。
まして、多くの人間が絡み合った社会現象など、見落としている重要なファクターは無数にあるでしょう。
でなければ、世の中の議論が大きく割れたり、専門家である日銀の経済政策が失敗したりすることもないはずです。
商品企画で、権限を持つ者がA案とB案の2案から誤った選択をするなど十分に起こり得ます。

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posted by 株式会社 パイン at 16:53| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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